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かよ子の家は東京の下町にありました。代々続く釣り竿職人の家で、お父さん、お母さん、おばあさん、それと五人の兄弟の八人で仲良く暮らしていました。
しかし、かよ子が小学校低学年の時、アメリカとの戦争が始まると楽しい生活はいっぺんしてしまいます。はじめは国外が戦いの場だったのですが、しだいにアメリカ軍が日本にせまり、空襲の被害を受けるようになります。東京も危険になってきて、かよ子は家族と別れ、ひとり静岡県沼津にあるおばの家に疎開することになりました。
昭和二十年三月十日の未明のこと、空襲警報が鳴りわたり、かよ子たちは山の中に避難します。ものすごい数のアメリカ軍の爆撃機が東京に向かっていくのがみえ、かよ子は東京にいる家族の無事を必死に祈り続けました。
その時、東京は大空襲に襲われていました。一万二千発もの焼夷弾がばらまかれ、下町一帯は火の海となっていたのです。そこには、かよ子を豊かな愛情で包んでくれた暖かい家族と、竿作りを営んでいた生家「竿忠」もありました。
何日も家族と連絡がとれず、安否を気づかっていたかよ子のもとに、兄のきさぶろうがやってきます。
「皆無事だよね、元気にしているよね」と、かよ子は兄に問い質しますが、きさぶろうはなかなか答えてくれません。
「皆死んじゃった。母ちゃんも、父ちゃんも、大兄ちゃんも・・・」きさぶろう以外の家族全員が亡くなっていたのです。
戦争が終わり、かよ子は東京・中野のおばの家で暮らすことになりました。きさぶろうは行方知れずで、おばはかよ子に冷たくあたります。それでもかよ子は家事を手伝いながら、きさぶろうとの再会を夢見て頑張っていました。ひとりで電車に乗って、田舎の農村まで買い出しに行くこともありました。
そんなある日、おじとおばが、かよ子たち一家が住んでいた家の跡地を売り渡すという話をしているのを聞いてしまいます。思い出がつまったあの場所が人手に渡ってしまう・・・。かよ子はおばの家を飛び出します。
かよ子は、きさぶろうを探し歩き、ようやく浅草で再会することができました。きさぶろうは闇市で商売をしていました。戦災孤児仲間のリーダーになっていて、たくましく生きていたのです。かよ子は一緒に暮らしたいと訴えますが、おばの家に帰るよう言われてしまいます。闇市で生き抜いていくことは大変なことで、妹への思いやりだったのです。
しかし、兄と一緒に暮らすことを楽しみにしていたかよ子は、願いがかなわず悲しくてしかたがありませんでした。かよ子がしょんぼりと座り込んでいると、通りかかった復員兵が、「これを食べて元気を出しなさい」と、さつまいもをくれたのです。復員兵に優しくはげまされ、かよ子は、また元気がでてきたのでした。 |
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