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2003年12月24日、夕闇迫る石狩平野から山沿いに入った雪景色のゴルフ場で、「新しい風」はクランク・アップした。依田勉三を演じきった北村一輝と握手を交わし、スタッフや、他の出演者たち一人一人と握手を交わすうちに、走馬灯のように撮影の日々が蘇ってきた。
準備や実景撮りのため、春から何度も帯広周辺を訪れていたが
、市内から車で約一時間の大樹町の尾田にオープンセットを建て込み、クランク・インしたのは、同年9月8日。文字通り泥だらけの撮影の日々がその日から始まった。
雨、雨、雨。スケジュールは、天候不順に見舞われ延びに延びた。植えた植物は雨の影響で腐り、開墾シーンはまさに当時の晩成社の苦労を追体験する有り様だった。アイヌ小屋・炎上のシーンの撮影は深夜まで及び、バッタが畑を襲うシーンには7日間を費やし、俳優陣は日が暮れるまで坂道や畑を走り回っていた。アクションシーン、スペクタクルシーンのわずかな合間にセットでの心理シーンが入る。映画とは、一つ一つ丹念に撮ったカットをつなぎ合わせていくものだが、スケジュールの都合で出演者達たちはテンションを持続することに苦労したことだろう。
十勝沖地震が起った日は、震源地に近い海岸でのロケであった。余震が起きる度、我れ先にと海を見ていたスタッフの姿が目に浮かんでくる。10月に入って伊豆での撮影。日活でのセット撮影、秋の実景ロケ、11月には雨の為に残った撮影を山梨や群馬の山中で行った。今、全てのシーンを撮り終えて、つくづく明治時代、開拓に命を賭けた勉三の魂の強さを想う。「我々の苦労など、晩成社の苦労の何百分の一だ」撮影を通して、キャストとスタッフがスローガンとしてきたことだ。雪が舞い始めた、暮れゆく空を見上げ、改めて勉三の詩が脳裏を掠めた。『ますらをが 心定めし 北の海 風吹けば吹け 浪立てば立て』
1月末現在、勉三の気迫をどう形にするか。連日編集作業に追われている。映画「新しい風」がどんな風となって皆様の心に届くか、少しでも心地よい風に育てるため、気の抜けない仕上げ作業は3月まで続く。
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| ハルニレの木の下に息子の遺骨を入れるシーンー悲しみをどう演ずるか力が入ります。 |
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| 銃太郎、勝もだんだん農民らしくなってきました。 |
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| スタッフと細かいところまで打ち合わせる。 |
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